日本語の「月」には、ざっくりと二つの意味合いがあります。一つは天体の「月」で、もう一つはカレンダーの「月」です。あまりに身近すぎて意識すらしませんが、どちらも「月」です。一見関係なさそうなこの両者ですが、何が原因でこうなったのでしょう。
結論から言うと、両者はしっかりと関係があります。しかもかなり密接に。カレンダーの「月」は、天体の「月」が語源です。このことを理解するにはカレンダーの歴史を振り返る必要があります。
毎日東から昇り、いつも明るく輝き、地上の全ての現象の源となっている我らが太陽。古来より人間は、その光に太陽神を見出していました。電気などなかった時代、太陽の明るさが世界の光でした。また、夜になると夜空をほのかに照らし、全天でもっとも明るく輝く星として空を支配した月。毎日姿を変え、時にはまんまるに、時には見えなくなる摩訶不思議な天体でした。
太陽は明るく、万物の根源といっても差し支えないもの。しかしほとんどの民族で、太陽を基準に暦を定めることはありませんでした。理由は「毎日同じ」だから。必ず昇ってくるのはありがたいのですが、日々変わらずしっかりと明るいので、区別がつきませんでした。太陽の写真だけを取り出して、「この太陽、いつの太陽?」とか聞かれてもわかりません。
一方、月は周期的に、全く見えない時から、細く見える時期、右半分だけ見える時期、まんまるの時期、左半分だけ見える時期を経て、また見えなくなります。毎日形が変わり、見え始める時間も変わります。古代の人々にとっては、こちらの方が都合よかったのです。「月が見え始めてから月が見えなくなるまで」を一つの期間として区切りました。これが「月」の由来です。一日の基準も月が出る夜に置いていたようで、日本で立春から88日を「八十八夜」と呼びますし、英語(古語ですが)でも一週間を「sennight(seven + night)」、二週間を「fortnight(fourteen + night)」と呼んでいました。
月の運行を基準に日々を区切っていく、つまり新月〜新月を1サイクルとする(「太陰暦」と言います)というのは日本のみならず、世界中でもみられました。日本語の「ついたち」は「月立ち=月が出ること」がなまったものです。難しい言葉では「朔日(さくじつ)」ともいいます。「朔」には「第一日」とか「さかのぼる」という意味があります。つまり、三日月が見え始めた瞬間に、そこから遡り、見えなくなった日を「ひと月の最初=ついたち」と宣言していたのです。これは古代ローマや古代メソポタミアのシュメール人などでも同じでした。古代ローマでは、細い月が見えた瞬間にひと月の始まりを「カレンダエ(宣言)」していました。これがカレンダーの語源です。カレンダーはもともと「ついたち」という意味だったのです。
このように、世界中の古代民族は天体の月を、時を測る基準として使用してきました。両者の語源が一緒なのは、「月」が「天体」でもあり、「カレンダー」そのものでもあったからです。最後にその証拠を英単語から見てみましょう。天体の「月」は「moon」、カレンダーは「month」です。もちろん、両者とも同じ語源です。しかも、両者の祖先をたどっていくと、ラテン語の「metiri」という単語が出てきます。これは英語で「measure」、つまり「測る」という意味になっているのです。