初めまして、国語科のすがぬまです。高校現代文・古典を担当します。実は一年前に半年間だけ国語科を担当していたのですが、コラムを書くのは初めてなので、今回は自己紹介をしつつ、「国語が得意な人とは?」ということについて書きたいと思います。
東京都に生を受けた少女・えみちゃんは、物心ついた頃から本に囲まれて育ちました。「かいけつゾロリ」「おばけちゃん」「トットちゃん」…みんなの中にも読んだ覚えのある人がたくさんいるだろう名作たちが、幼稚園生のえみちゃんのともだちでした。なので、小学校に上がってからの国語の成績はいつも学年トップ。国語の問題なんて、文章中に答えがあるのに、どうしてみんな間違えるんだろう?くらいに思ってました。
小学校に上がって読んでいたのは、「パスワード」、西尾維新シリーズ、「ダレンシャン」…。登下校中に歩きながら夢中で本を読んでいて、電柱にぶつかることがあるような子供。おかげで中学に上がっても、国語の成績だけはいつもよかった。でも、この頃から、テストで満点は取れなくなってきます。そして決定的に変わったのは、高校に上がってから。今までクラストップだった国語の成績が、だんだんと下がってきます。以前のように、自信を持って選択肢を選ぶことができなくなってきました。この頃のわたしは、谷崎潤一郎、太宰治、村上春樹、司馬遼太郎にハマっていました。そして、それまでに読んでいた小説に比べて、「言いたいこと」を読み取るのが難しい、ということに気づき始めていました。
国語の講師をしていると、保護者の方や生徒から「現代文の成績が悪いのですが、本を読むべきでしょうか?」という質問をされます。そういうとき、受験学年以外には「そうですね、読んでみてください」と答えますが、受験生には「本を読む暇があったら、英単語の一つでも覚えてください」と言います。わたしは、三、四歳の頃から今までで、多分普通の人が一生に読む分くらいの本を読んできました。それでも大学受験には通用しなかったのですから、今まであまり本を読んで来なかった諸君が思いついたかのように数冊本を読んだところで、偏差値がぐんと伸びることは期待できるわけがありません。
じゃあ国語の成績がいい人と悪い人の違いって何か?色々あるけれど、一番の違いは「文章に読者である自分を反映させずに読むことができるか」。入試問題は、読書感想文とは違います。その文章を読んで、「えみちゃん」が思ったことなんてどうでもいい。あくまで「筆者がこの文章を通じて言いたいことは?」を追求することが、入試問題と向き合うということなのです。当たり前のように感じるけど、実はこれが難しい。ヘタに小説を読むのが好きな人ほど、自分を投影してしまい、解釈を誤ることがあります。正確に、敬意を持って、文章と、筆者と向き合うこと、それが「現代文の問題を解く」ことなんです。
最後に。入試に読書量は関係ないとは言いましたが、行きたい学校に進学したら、是非たくさん本を読んでください。友達も、お金も、仕事もあなたを裏切る可能性があるけれど、本はあなたを裏切りません。まっすぐに本と向き合えば、何人分もの人生を生きることができるんです。そして、その豊かな読書体験において、あなたが入試のために身につけた上記の「読み方」は、絶対にいい方向に働いてくれるはずです。